阿久悠の生い立ちと経歴について!結婚と妻と息子は?家族もリサーチ!

阿久悠さんといえば、5000曲以上の作詞を手掛け、

「怪物ヒットメーカー」と呼ばれました。

昭和の名曲として誰もが知る石川さゆり「津軽海峡・冬景色」や

ピンクレディー「UFO」、都はるみ「北の宿から」など

数々のヒット曲の作詞を務められたのが、阿久悠さんなんですね。

多くの曲を生み出し、昭和時代の音楽会を支えた阿久悠さんの

気になる生い立ちから、経歴、家族についても見ていきます!

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阿久悠の生い立ちと家族

阿久悠

阿久悠さんの生い立ちと家族についてみていきましょう。

阿久悠さんのお父様が、兵庫県警巡査というお仕事の影響で、

中学生時代は郡内ではありますが、何度か転校を繰り返していらっしゃいます。

要するに転勤族ってやつですね~。

幼少期はラジオを聴くことと野球が大好きだった阿久悠さんですが、

中学校時代に結核を患い、その時に将来の夢は体を動かさなくても

いい小説家になろうと考えたといわれています。

兵庫県立州本高等学校を卒業後、上京し、明治大学文学部に通われました。

在学中の家からの仕送りは、映画にすべて消えていたことから、

映画に没頭していた日々だったことがわかりますね。

この時代が、のちの阿久悠さんの名作へと土台となるわけですね!

阿久悠さんのご両親はもともと宮崎県児湯郡川南町の出身だったことから、

お父様の定年退職後にご両親は故郷の宮崎に帰られます。

阿久悠さんは次男と言われてますので、

お兄様がいらっしゃるんでしょうね。

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経歴について

映画の脚本をかくという夢を持ち阿久悠さんは、

卒業後、広告代理店・宣弘社へ入社されたそうです。

そこで、盟友となる漫画家の上村一夫さんと出会います。

上村一夫さんといったら、昭和の絵師と呼ばれた男ですね?

阿久悠さんと上村一夫さんは、休憩時間などを利用しては

ギター片手に歌を作るほどの仲になっていきます。

阿久悠という名前が出来たのも、この頃なんですね~

「阿久悠」という名前は実はペンネーム!由来は、「悪友」だそうです(笑)

きっと、上村一夫さんのことなんですかね!笑 由来がお茶目すぎます(笑)

他にも、多夢星人(たむせいじん)とかいう名前も使っていたようですが、

これはなんとなく漢字で意味わかりますよね?^^

星人とはもはや人間離れしていることをご本人はこの時から

感じていたのかもしれませんね。笑

さて、少しほっこりしたところで・・・

本題の経歴について、紹介していきますね!!!

1966年に宣弘社を退職され、本格的に放送作家、作詞家としての活動を行われます。

翌年1967年にはザ・モップスの人気曲「朝まで待てない」

で本格デビューを果たされます。

阿久悠さんは歌謡曲、演歌、フォークソング、コミックソング、

アニメソング、CMソングと幅広いジャンルの歌に挑戦し、

生涯、作詞した曲はなんと5000曲!!!

また、小説家としても力を発揮されるのです。

直木賞候補となり、さらに映画化された「瀬戸内少年野球団」、

さらに「殺人狂時代ユリエ」では横溝正史ミステリ大賞を受賞されます。

1997年には長編小説「ラヂオ」で、ギャラクシー賞ラジオ部門最優秀賞

を受賞し、有名小説家としての地位も確立されました。

そしてこの年、30年にわたる作詞活動に対し、

日本文芸振興会主催による菊池寛賞を受賞、

1999年、「自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著な者」

に送られる紫綬褒章(りょくじゅほうしょう)を受章、

2000年、掌編小説集『詩小説』にて第7回島清恋愛文学賞を受賞・・・

もうここまで賞が続くと、昭和時代の歌謡曲、小説なんてものは、

阿久悠が革命を起こしたと言っても過言ではないように思えますね。

ここまで素晴らしい経歴をお持ちの方だど、死去後も?!

受賞されるんですね?さて、どういうことでしょう・・・

なんと次は日本政府です!!!笑

阿久悠さんお長年の功績を高く評価し、死去された2007年8月1日に

遡って日本勲章のひとつ“旭日小綬章”の授与が9月7日に決まったのです。

また、同じ年の第49回日本レコード大賞では特別功労賞、

第45回ゴールデン・アロー賞では芸能功労賞が贈られました。

亡くなった後も経歴が作られていく・・・

平成もそろそろ終わりを迎えようかしている現在も「昭和の名曲」は心に残る・・・

阿久悠さんは、天国からこの受賞を誇りに歌っているかもしれませんね^^

結婚と妻と息子

阿久悠さんの結婚相手は、同じ職場だった雅子さん。

先程の経歴の中でも述べましたが、阿久悠は本名ではありません。

深田公之さんが本名となるので、妻の雅子さんは、阿久雅子さんではなく!

深田雅子さんです!笑

阿久悠という名前が偉大すぎて、なんか拍子抜けしちゃいますが、

結婚なんでそこはきちんと、紹介しなければ。笑

そして、息子がお一人いらっしゃいます。

深田太郎さんです。

ここまで偉大な父を持つと、息子が思う事・・・

阿久悠さんの息子としての注目はされたくなかったのだと。

父と同じ音楽業界で活動されていらっしゃるようですが、

同じ業界で働くからこそ父の偉大さを知り、自動的に

「その息子」というレッテルを貼られ、注目されていく、、、

確かに複雑なものがありますよね。

それでも、妻からも息子からも、尊敬される良親だったことは、

間違いなさそうですね^^

プロフィール

生年月日:1937年2月7日

出身:兵庫県州本市五色町鮎原村

本名:深田 公之(ふかだ ひろゆき)