逸見政孝さんの経歴について!妻は?娘と息子の今現在も気になります!

昨日もうちの近所で花火大会が行われていました。

花火って不思議な気持ちにさせますね・・・。走馬灯のようにいろんな事が浮かびは消え。

もうすぐお盆。ご先祖様をお迎えする心の準備ができたのかもしれません!

 

さて、日本中の茶の間に激震が走った1993年9月6日のあの日、フリーアナウンサー逸見政孝さんが癌を告白!当初、3週間の休養は十二指腸潰瘍と嘘の病名を公表したことは嘘だったことを謝罪。

その後、本来の病名「癌」を告白されました。逸見政孝さんご本人の口から発表された理由とは、曖昧な情報や憶測で報道されるのは不本意だという理由からと、これから癌と闘うんだという決意の表れだったそうです。

しかし実は、この時すでに全身に癌が転移していたのです。余命宣言は月単位での宣告をだったことを激白され、さらに会見の3ヶ月後に死去されてことに誰もが驚いたと思います。

今回は、私が大好きだった逸見政孝さんを振り返ってみたいと思います。

逸見政孝さんの経歴や残された家族の妻、娘、そして息子の今現在を書いていきます。

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逸見政孝さんの経歴

逸見政孝さんの経歴について!妻は?娘と息子の今現在も気になります!

当時、逸見政孝さんの死が速報で流れたほどの

大人気アナウンサーの経歴について見ていきます。

大阪府立安倍野高等学校を卒業後、関西学院大学を

受験するも失敗。

一浪され、早稲田大学第一文学部に入学されました。

入学後は、アナウンス研究会に所属し、大阪弁のアクセントを

徹底的に訓練し、完璧な標準語を習得したと言われています。

1968年、フジテレビにアナウンサーとして入社されました。

人気の火付け役となった番組が「FNNスーパータイム」の前に

番組予告するコーナーで、愛嬌のあるいじられ方や、

返しのうまさに一気に名が売れたと言われていますね。

そして、1988年3月末フジテレビを退社し、

翌日より三木プロダクション所属のフリーアナウンサーへ転身されます。

ここでの活躍は、アナウンサーだけならぬ

バラエティー番組にも引っ張りだこの逸見政孝さんでした。

1993年1月胃がんを発見し、手術するも5月に再発。

3か月の休業を発表し、治療に専念するも10月に

再々発してしまいました。

年を越せるかどうかという最後の医者の宣告数日後の、

12月25日息を引き取られました。46歳と言う若さです・・

本当に若すぎます。

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妻の今は?

逸見政孝さんの看病を献身的にされていらっしゃった

妻の今はどうなっているのでしょうか。

まずお二人の新居が完成した3ヶ月後の翌年1月に、

夫・逸見政孝さんの癌が見つかり、再発したのが5月ですね。

その年の12月に夫を先立たれた妻に残されたものは、

21歳と18歳の学生の二人の子供と12億の借金でした。

預金や保険をかき集めもまかないきれなかった額、

その負債なんと5億円。

再発の癌治療をスタートしてわずか3ヶ月での夫の死を

受け止める事は出来ず、精神的にも苦しむ日々が続いたそうです。

5億という多額の借金は妻・晴恵さんがどんなに働いても返せる

金額ではなく、エッセイストそれに加え、全国を飛び回って

講演活動をされていたそうです。

そんな妻・晴恵さんにもなんと病魔が忍び寄るのでした。

夫の死から、半年の人間ドッグで子宮頸がんが見つかりました。

幸いにも初期の発見で完治したものの、その後の血液細胞のガン

の一種である骨髄異形成症候群という難病が見つかりました。

10年ほど闘病生活を送られていましたが、

2010年10月21日に肺胞蛋白症のため亡くなられました。

癌って、程遠い病気のようでこんなにも二人三脚で歩く

人生ってあるんでしょうか。

切ない気持ちになってしまいました。

娘と息子の現在は?

長男は俳優、タレント、司会者を務める逸見太郎さん、

長女は女優の逸見愛さんのお二人です。

逸見政孝さんがなくなった当時は、息子が21歳、娘が18歳でした。

息子は15歳でイギリス、その後アメリカボストンのエマーソン大学

に留学し卒業していらっしゃいます。

帰国後、テレビドラマ、映画、舞台と幅広く活躍されていましたが、

芸能人としては長くも続かず、しばらくして司会へ抜擢され

再活躍されました。

今現在は、福島放送の夕方番組の司会をされているそうです。

プライベートでは、2013年に一般女性と結婚されています。

娘は1990年にイギリスへ留学中に、ダンス、音楽、美術、

バレエの歴史や英語について学ばれました。

帰国後、兄と同様、舞台やドラマなどのメディアで女優として活躍します。

現在の目立った活動は見つかりませんでした。

世田谷の自宅について

逸見さんの世田谷の自宅について見ていきましょう。

1992年10月に世田谷に新居を建てられました。

総工費は約12億円とも言われ、誰もが羨む大豪邸だった事は確かですね。

その間取りはというと・・・7LDKの3階建て!

光熱費だけでも月20万…ひえ???

ハッキリ言って、想像がつきません!

家が広いので、きっとお風呂も広いのでしょう。

照明も沢山あるのでしょう。

広々したリビングの冷暖房も完備されているのでしょう。

家族が顔を合わせられるように、世田谷の自宅で人が集まれる

ようにとリビング、ダイニング、ミーティングルームが

一体となった広いスペースだそうです。

それに加え、冷蔵庫・ガスコンロは業務用だそうです。

その他、庭、書斎、オーディオルームまでも備え付ける

こだわりぶりの自宅には、亡き逸見政孝さんの相当の想いが

詰まっていたのでしょう。

大豪邸の世田谷の自宅を手に入れて、わずか1年余りで去った夫。

妻・晴恵さんには同じくこの家に、夫婦二人分の想いを込めて

5億という負債を背負う決意をしたのでした。

世間からは、5億の負債とはいえども「家を売れば優雅な暮らしが出来る」

という心無い目で見られる毎日でした。

 

きっとそうすれば、エッセイストとして本を出版し、公演活動で

全国を飛び回り必死に働かなくてものは十分な暮らしができたのは

確かだと思います。

愛する夫の生きた証を守る為に、周りにどんなことを言われようと

守り貫いた晴恵さん。

そして、両親を失った後に守らねばならぬのは子供ですね。

現在は、息子さんが光熱費の見直しのために家庭用の家具に

買い換えたりして、節約生活を送っているそうです。

 

さらに移動用の車を手放し、食費を削りと大豪邸の外観とは

見合わぬ生活ですが、それでも守りたいという気持ち、

すごいですね。

母が必死な思いで遺した父の豪邸、次は自分が手放すまいと

苦労している背景を見ると、ファンからだけでなく家族みんなに

愛された偉大な父だったのでしょうね。

亡き父は天国で、どんな思いでその姿を見守っているのでしょうか・・・

逸見政孝さんが遺した豪邸に、妻が身を削り働く。

そして、二人から受け継いだ子供がそれをまた必死な想いで守る…。

自身の早すぎる死に加え、豪邸すぎる世田谷の自宅は、

誰にとっても大誤算だったことのかもしれませんね。

プロフィール

生年月日:1945年2月16日

出身地:大阪府大阪市