意識のこうしたい、こころのこうしたい、思考のこうしたい、身体のこうしたいがバラバラに散らかっている気がするのは、
やることが多すぎるからかもしれません。
余計なことをやめること。
そのためにも自分と仲直りをするというのは、必須のような気がします。
自分と仲直りすることで、自分を構成している色々の調和がとれてシンプルになるように思います。
そのためにできることは、一瞬一瞬心地良く気分良く快適であること、自分を一番心地いい状態にすることのように思いました。
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心地よさはすべてに共通している
身体には本能があり、本能は身体を生かすために働いていて、身体が気持ちいい状態にあることがその願いのような気がします。
思考は身体と連動していて、記憶をもとに保身のために働いているように思います。
こころは気持ちのいいとき安定して安心して満たされている。
意識はひらめきで、ふとやりたいことを一瞬一瞬発信していて、それは自分をつくるもとになっている。
快適で心地良く気持ちの良い状態は、自分を構成しているすべてに共通していて、調和しているのだと思います。
意識がやりたいとひらめいたことを、こころがやりたいと思い、それがそのまま現実化する。
そこに余計なものがたくさんあれば、その分思いもよらないような結果になったり、
ねじ曲がって別のものが現実化したように感じたりするのかもしれません。
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意識とこころが一致したとき現実化が起こる
意識とこころが一致したときに現実化が起こると言います。
意識とはひらめき、こころとは思いではないかと思います。
こうしたいというひらめきがあり、こうしたいという思いがあって、それが現実化する。
その流れをスムーズにするためにも、散らかっている自分をととのえてシンプルにしておくといいのだと思います。
それは自分を構成しているすべてが同じ方向を向くからで、余計なものがないので真っ直ぐに最短で現実化できるから。
そのためにも、常に自分を心地良く気分よく快適で気持ちいい状態にすることが大切なのだと思います。
そしてそのためにも、自分が何をどう感じどう思うのか、
自分と仲直りして自分を良く知ることがだいじなのだと思いました。
自分をよく知ることでみえてくる
いままでないがしろにしてきた自分の声を、もっとよく聴くことが必要でした。
何か行動するときにも、本当はどうしたいのかを常に意識して見極めること。
自分がそうしたいと思うことには二種類あって、
本当にシンプルに内側から自分が望むこと、ひらめきや思いと、
外側の意見などでそう思ってしまっている、思考からの意見があるように思います。
思考の望みばかり採用してきて、自分の本心からの望みをないがしろにしてきたことで、何が本当かわからなくなっている。
本当に本心からそう思うんだ、と思っていることの裏に、実は他人や世間が介在しているのなら、それは思考の意見だということ。
それを常に見極めることがだいじなのだと思います。
自分と仲直りするということは、本来の自分を知るということ。
魂から意識が生まれ、意識はこころを持って思いが溢れ、身体があることで感覚や反応や感情や思考が生まれる。
それらをよく観ながら、いままでないがしろにしてきた自分をどんどんしあわせにしていこうと思います。
そのためにも、一瞬一瞬心地良く気分良く快適であることを、常に意識し行動していこうと思います。