感謝することがだいじなのは自分自身に対しても

お金の巡りが悪い人は感謝が足りていない。

よく言われていることですが、どういうことなのかなんとなくわかった事があります。

 

感謝は外側に向けることはもちろん、自分自身にも向けていると良いのではないかと思います。

 

自分と向き合いながら、感謝というテーマで色々掘り下げていくと、たくさんのものが見えてきます。

こんなにも、何にも感謝できていなかったのかと思うと、思わず涙が出てきます。

 

お金が欲しいから感謝しようとかそういうことではなく、感謝があるから自然に巡ってくるのだと気付きました。

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雑に扱えば雑な現実が創造される

感謝することがだいじなのは自分自身に対しても

ずっと自分をないがしろにして、雑に扱ってきました。

そしてそれが当たり前になり、そのことに対して何も感じなくなりました。

 

そして無意識に、それが当然かのように、他のものや人たちに対してもそう扱っていたのです。

 

そういう風に生きてきたからです。

 

そんなことに気づきもしないで、それが普通になっていたのです。

 

自分と仲直りしようと思ってから初めてそれに気づくことができました。

 

お金に対してもそうです。

とても雑に扱っていて、あればあるだけただ使い、その使い方にも感謝などひとつもありませんでした。

ただの道具なのだからと、ありがたさに気づくことはありませんでした。

 

そしてそれが現実化しています。

自分のあり方や思っていることはそのまま現実化します。

だから雑に扱えば雑な現実が創造されていたのです。

 

いくら頑張ってもお金が足りない。

何をやっても金銭的不自由から抜け出せない。

 

それはそういう生き方をしてきたからでした。

 

感謝の気持ちが湧いてきた時に、まずは外側の様々なものや人たちに感謝を向けていました。

すると自分自身に行き着いたのです。

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自分自身にも感謝するということは

感謝について掘り下げた時に、結局は自分自身に感謝することが一番だいじなんだとわかりました。

 

誰かや何かに感謝が湧く時に、どうしてもそれが必要だったからです。

 

お金に感謝が湧いてきた時、お金がありがたいものだとわかり、雑に扱ってきたと気づきました。

もっと丁寧に扱おうと思った時に、自分自身を雑に扱っているとそれができないのです。

 

雑に扱われる自分からの感謝は中途半端で、そのありがたさはどこから来るのか、結局は自分自身からだったからです。

 

自分自身を丁寧に扱おうと思ったら、自然に他のことに対しても感謝が湧いてきました。

大切な自分の周りにある大切なものや人たちだったからです。

 

みんなと共に自分があります。

 

雑に扱われるものたちに囲まれながらではなく、丁寧に扱われるものたちに囲まれているから幸せな自分があるのです。

 

自分自身に感謝できれば、他のものや人たちにも自然に感謝できるのです。

感謝を循環させていくために

自分自身に感謝できると、周りの全てにも感謝できるようになります。

するとそれが循環していくのです。

 

この世はそういう仕組みだからです。

 

雑な扱いは雑に扱われる現実を創造する。

同じように、丁寧に扱えば丁寧に扱われる現実が創造される。

 

不満があれば不満が循環するように、感謝をしていれば感謝が循環していくのです。

 

お金も同じです。

お金に対して感謝している、大切な自分のためにある大切なお金。

だから雑に扱われるお金ではなく、大切なお金というものが循環していくのです。

 

お金に感謝できるので、感謝できるお金が巡ってきます。

多い少ないではないのです。

 

お金に感謝できていれば、不満ではなく満足がそこにあるのではないでしょうか。

お金に満足しているのなら、お金の問題は解決しているということです。

 

感謝があれば色んなことが解決します。

 

不足感や不満や怒りなどの、ネガティブな感情や状況も解消されます。

 

そのために感謝しようとするのではなく、本当に全てに感謝するときは、自然に感謝が湧いてくるものです。

 

そのためにやることがあるとしたら、自分と向き合い、何をどう感じどうしているのか掘り下げてみること。

 

そこから気づくことです。

 

全てのものは循環している。

ネガティブな循環ではなく、ポジティブな循環のなかで生きていきたいと思います。